第17回 2050年「働く人」=「契約型個人事業主」時代になる
今年の年頭、経団連の中西会長(日立製作所会長)は、こんなことを言っていました。
「人と違ったことをちゃんとやっていかないと、競争力がつかない経済構造にどんどんなっていく。つまり、イノベーティブでなければ生き残れない。働き手も『一生懸命さ』の中身を変えないといけないし、企業もそれにどう応えるかをもっと真剣に考えないといけない。処遇の在り方自体が『生活補給』という考え方から『やる気充填給』に変わらなければならない。」
経団連の会長も、大胆なこと言うな・・と思う反面、この見通し、甘すぎじゃないの?と感じました。
今年は改元の年です。次の元号が何になるかわかりません。ただ、AI技術の普及によって次の時代の終わりころ(2050年頃)は、会社組織って、現在とはかなり違った形になっていると思うんです。それは、働く人の多くが「社員」から「契約型個人事業主」になっている世の中です。この予想、けっこう自信満々です。
その理由をちょっと書いてみようと思います。
まず、会社(特に株式会社)という形態が、なぜこんなに世界中に普及してきたか?というと、主に以下の理由のためです。
①大きな工場建設などのため、株式発行や銀行融資で多額の資金を集めやすくするため
②大量生産のため、強い指揮命令のもと、従業員に同じ行動を求め、標準化、効率化するため
③個人であれば死んでしまうと取引が遮断されるが、会社は中断することがないので取引の継続性があり信用を得やすいため
多額の投資が必要な重化学工業がエンジン役となった20世紀の経済では、株式会社はすばらしく機能するモデルでした。産業革命から(日本でいえば)戦後の高度成長期までの設備集約的な、労働集約的な時代のために打ってつけのシステムでした。考えた人、偉すぎます。
巨大工場と、指示されたことに従順で、ミスを起こさず、長い期間勤務する社員。金太郎飴のような製品と金太郎飴のような社員。女工哀史、野麦峠・・・これが私の持つ古い株式会社のイメージです。
しかし既に、①の大型設備も、②の大量の労働力も重要性は薄まり、時代はすでに知的集約社会に移ってきました。大型の機械設備ではなく、働く人それぞれの持つ知的能力が勝負を分ける時代となりました。
それでも、いままだ働く個人の多くが社員として会社組織に所属しているのは、時代の過渡期であり、法制度面等でプラス面のほうが多いからと言えます。
ただ望む望まないにかかわらず、会社組織は新しい経済環境に適応する必要があり、働く個人も、会社組織に頼らず知的能力で勝負をせざるをえない以上、新しい元号の時代の終わり頃には、いまとだいぶ様相が変わると思うのです。
私が描く2050年の新しい会社の姿はこんなイメージです。
新卒社員は、発揮出きる能力がまだ十分に身についていない5年間程度は、社員として会社に所属する(昔の丁稚奉公の復活かもしれません)。
その後、会社の経営陣として残りたい人と、スキルで勝負する人に分かれる。
スキルで勝負する人は、そのまま所属している会社(または別の会社や、複数掛け持ちで)で契約型個人事業主として働く。自分の仕事内容も仕事量も報酬額も自分で決められる(いやなら他で探す)のでストレスフリーです。働き続けたいときまで、働けるまで(求められる限り)働くので、定年制度は事実上なくなっているでしょう。
契約型個人事業主とは、いまの外資系生命保険の営業マンのようなイメージです。彼らは社員ではなく個人事業主ですが、所属会社への帰属意識や仕事へのモチベーションは十分に持っています。社員との違いは、報酬は固定給に近いか、成果次第か、というところくらいです。
2050年、会社組織の主な構成員は、方向づけを行う経営陣・幹部社員、あとは契約型個人事業主だけという時代が到来する、きっと。なんか寂しい、切ない気もしますが・・
当社グループもその時代を見通して、会社組織作りと社員育成をしていかないといけないなあと思う日々であります。
