第9回 りゅうちぇるタトゥー騒動
タレントのりゅうちぇるが、第1子誕生をきっかけに、妻子の名前をデザインしたタトゥーを両肩に入れ、それを自身のインスタグラムで明かしたところ、賛否を呼んでいるようである。
りゅうちぇる本人も、批判の多さに「こんなに偏見のある社会ってどうなんだろう」と反論しているらしい。
先日のサッカーワールドカップの試合をTV観戦していて思ったのだが、「世界のトップ選手にタトゥーをしている選手はこんなにも多いのか!」とびっくりした。
あと最近は、京都の街で見かける外国人観光客にもタトゥーをしている人が結構いる。とくに白人の太った男性に多い(これも偏見?)。
それもそのはず、ある世論調査によると、アメリカ人の29%がタトゥーを入れている。青年層ではその割合が非常に高く、20代後半の42%、30代の55%がタトゥーを入れているとのことだ。
日本の大企業の面接では、応募者がタトゥーをしていることが分かったら採否に影響しそうである。自衛官は、タトゥーをしているだけで即不採用のようである。公衆浴場やプールなどでは、入場制限されることもある。
そういえば、かつて大学生のころ、一条寺(京都市左京区の学生街)で、友達の下宿先から銭湯に行ったときのこと・・。
洗い場で洗髪をしたあと頭を上げてみたら、両サイドの席には、それはそれは見事な登り龍の入れ墨の入った方々がお座りになっておられるのに気が付き、震えあがった思い出がある。
若かりし日の思い出はさておき、タトゥーをしているだけで、社会の眼差しは今でも冷たく窮屈な世の中であることは間違いない。タトゥーをしていることは、本人の能力などとは無関係であるにも関わらず、である。
ただ、タトゥーへの偏見に対する私の見解としては、「確かにそうだけど、受け入れるしか仕方ない部分もあるんじゃない?」というスタンスである。
なぜなら、本人の意志で彫ったタトゥーである。偏見があるとしても、偏見が先にあって、それがあっても自らの意志で(偏見の存在を知らなかったかも・・ですが)彫ったわけだ。
つまり、自己責任じゃないかと思う。偏見が嫌なら彫らなきゃよかった。
りゅうちぇるだって、子供の腕にタトゥーを入れたとすれば大問題だけど、自らの判断で彼本人の腕に彫ったのです。それでも、大切な家族を守りたいという思いから(らしいです)彫った。
例えるとすれば、ここは飛行機の離着陸の騒音の激しい地区だとわかっていながら、その地区に転居し、家を建て、生活に耐えられないと訴える住民。
崖崩れの危険がある地域に移り住んで、豪雨により土砂崩れが起きてから、自宅が崩壊したあとに、市町村に対策の不十分さを訴える住民。
どちらも、大いに気の毒だとは思うが、その選択をしたのは本人である。そこで生まれ育った人であっても、既に大人になっていれば、自らの意志で転居することも可能である。
タトゥーの偏見問題はこれらに似ている。
社会から一掃すべきは、自らの判断・意思ではどうしようもない(人種、少数民族、LGBT、宗教などに対する)いわれなき偏見である。
まあ、タトゥーは判断能力の未熟な未成年は禁止という法律はあっていいと思うが。
